2001.8.27(月)

 fjの蚤の市で買ったパソコンが届いた。事前の説明どおり本当にFDDとCD-ROMがない。だが、うれしい誤算としてNICがけっこう重たいスピーカーの下から見つかった(数日後艱難辛苦の末にISAスロットに差し込んだ結果Intel EtherExpress PRO/10だと判った)。キーボードもないのが一番問題なので前から家にあるAptivaのキーボードを借用してキーボード/フロッピードライブがなくても正常に起動できるようにBIOSの設定を変更した。

 この後数日の間に既存のAptiva JDAからCD-ROM/FDDを移植した。JDAは元々マウスさえあれば事足りるネットワークゲーム専用マシンになっていたので使用者を容易に説得できた。

2001.9.18(火)

 夜寝る前にサクラエディタ(旧名テキストエディタ)をダウンロードした。

2001.9.19(水)

 前日ダウンロードしたサクラエディタを解凍しようとしたが、ファイルが壊れていることが判った。.EXEファイルは直接ダウンロードできない設定がIE内にあるのだろう。今はどこをどういうふうにすればいいのか見当がつかない。いずれにしてもEXEファイルを直接ダウンロードさせるのは問題があるように思われる。
 結局、ZIP形式で配布しているバージョンをほかの場所からダウンロードした。

 サクラエディタの第一印象は非常に良かった。雰囲気がさらっとしていて快活に映る。メニューに多彩な機能がぎっしり詰まっているが圧迫感がない。一番気がかりな「長い行のウインドウ幅での折り返し」がウインドウの大きさを変更した時に即応する形式ではないのが残念だったが、折り返す桁数の設定を設定画面での数値入力と画面上のアクティブウインドウ幅の採用といういわば裏表両面から行えるので、この機能を必要とする作業において二つのウインドウを左右に並べる形式以外ほとんど採らない私にとっては十分許容範囲内であった。ただ、現状ではファイル形式毎にこの設定が一律に適用されるので、同じ形式のファイルを左右に並べると画面の横幅を二等分することになる。したがって、「左の文書は時々参照するだけなので右の文書ウインドウの半分の幅にしたい」といった需要には応えられない。ウインドウ幅に合わせてウインドウ内の文字列が即座に折り返されるようになれば、このエディタで決まりかもしれない。
 Mac暦8年の私にとっての解毒剤=キーカスタマイズ機能もかなり強力だ。今、臨時に使っているキーボード(IBM KB-8920)はタッチレスポンスは最高だが、キー配列が最悪だ。コントロールキーが左下隅にあり最も使う機会が多いzxcvが遠いのだ。その右隣にはWindowsキーが何食わぬ顔であまりにも重要な位置を占拠している。こんなくだらない、アプリケーションプログラム内では何の役割も果たさないキーをここに配置した責任者は誰なのだろう。今週末にもまともなキーボードを買いに行く予定だが、オンラインでにわかに調べると、キャップスロックとコントロールを入れ換えたものもあるようだ。やはり批判の声があるレベルを越えているのだろう。  このように脳に有毒な物質を分泌させるよくない環境でも、キーカスタマイズがしっかりできればかなりの救いになる。AltキーをMacintoshのコマンドキーだと思ってばしばしカスタマイズするしかない。それでもWindowsキーが邪魔になるが(よせやい、小指がたこにな〜る)。


2001.9.22(土)

 fjの蚤の市で見つけたISDNダイヤルアップルータMN128-SOHO SL10が家に届いた。

 午後、ヨドバシカメラ→DOS/Vパラダイスへ。ヨドバシではLANケーブルを収納するモール1m×3本を買う。前夜時間をかけて見渡したキーボード売り場をもう一度嘆息しながら見物。CD-ROMとサウンドカードを繋ぐオーディオケーブルを買おうとしたが適合するものは600円以上するのでやめた。

 DOS/Vパラダイスでは妥協の結果、メーカー名不明の英語キーボードKB-2050E(キーボードの裏にはKB-2001Eとあるが)、販売価格なんと880円、コネクタは当然PS/2を購入した。これは日本語版も並べて置いてあってそれは980円だった。値段は覚えていないが、日本語版はヨドバシカメラにもあった。
 なぜ妥協の結果なのかというと、、2800円の別のキーボードが私の理想どおりだったからだ。コントロールキーがだめボードのWindowsキーの位置にあり、キーピッチも普通でキータッチも好みに合っていた。しかし、それはテンキー部分がないものだったのだ。本当はフルサイズであるかどうかは二の次にして、コントロールキーの位置と英語版であるという二つの条件を満たせばそれでよしと思っていたが、実際に理想的な物が見つかるとこれでフルサイズのものはないだろうか、あったらどうしようと思ってしまった。理想のキーボードを求めて気に入ったものをどんどん買っていく財力もないし、千円パソコン(爆)のキーボードに何千円もかけたくないのである(中古マックで免疫力を回復させた方がまし)。
 幸い880円のキーボードはかなりすぐれものである。8年間使ってきたアップルキーボード2(STEPで8900円した)よりはるかにキータッチが良い。キーの感触だけは大満足のAptiva JDA付属のキーボードのストロークを少し浅くした感じだ。少し大袈裟に言うと「打つたびに底板を指先で感じる」ことになる。それにまるで段ボールでできているかのように軽い。傾斜をつける足の部分はよく壊れると評判の悪かったPowerBook100のそれに似ていて信頼感がない。  しかし、これは全体的にすこぶるよい。このキーボードのコントロールキーがzの左下だったらもう最高である。  価格からするとすばらしく優秀なこの中国製品をとりあえず使いながら、自分にとっての究極のキーボードを探してみようと思う。

 ・英語キーボードについて
 英語キーボードはキートップにかながないので見た目がすっきりしていて美しいという意見は一定量あるようだ。私も同感だ。  しかし、疑問に思うのは、なぜそもそもWindowsの日本語キーボードはひらがなを印刷するのだろうかということだ。Macintoshの世界でも日本語キーボードはかなが見苦しいから英語キーボードで決まりという話があるのだが、私はそれに理解を示しつつも、普段使っている日本語版アップルキーボード2を目にしてそれほど見苦しいと思ったことはなかった。なぜだろうかと考えるとキーに印刷されているのがカタカナだからだと思う。Windowsの日本語キーボードもひらがなではなくてカタカナを印刷すればかなりすっきりするのではないだろうか。キーボードは四角形の集合体である。その中に曲線が主体のひらがなをデザイン面からすれば無秩序に詰め込んだことが問題の本質ではないだろうか。

 繰り返しになるが、この安物のキーボードは美しい(笑)。私は本当はものの美醜を論じられるような類の人間ではないのだが、Windowsがひどすぎるので、パーソナル・コンピュータというものにも当然特有の美学があってしかるべきだという普段考えているわけでもない問題をにわかに、ある優越感のごとき意識をもって主張し、コンピュータに見てくれは関係ないだろうと平気で言ってしまう方々を少しは焦らせたいと思うのかもしれない。
 この880円のキーボードはその点Macぽい。つまり「見てよし触ってよし」なのだ。余談だがくたくたジャガーも同様である。
 それから、コントロールパネルの「キーボード」の言語設定で英語を追加したので、半角英数・記号を入れるときに英語に切り替えるとMacintoshで見慣れた配置通りに入力できるようになった。

 このキーボードのおかげでWindowsを使うときに感じる理不尽な思いやだるさをだいぶ軽減できそうだ。





2001.9.25(火)

 hennamail.com経由で入手したシマンテックのnimda検出・駆除プログラムを電話中に利用した。話が済んだ電話を切って画面を見るとプログラムのダイアログ・ウインドウが消えていた。ウイルスは検出されなかったということなのだろう。ただ、その後でこの日記を書こうとサクラエディタを起動させ、いざ文字を打ってみるとなぜかかな入力になっていた。MSIME95のツールバーの「環境設定」ではローマ字入力が選択されているにもかかわらずである。ウイルス検査はまたやる必要があるので、後日この異常の再現性に注意したい。

 nimdaという名称は朝日新聞紙上で初めて確認したと思われる。しかし、このウイルスに関する警告を最初に目撃したのは2ch.netの音楽一般板である。そこにもマイクロソフトとシマンテックへのリンクが設置されていたが、プログラムをダウンロードするにはいたらなかった。
 新しいウイルスが次々と作られ,その度にあたふたしなければいけないのはご苦労なことである(笑)。私もこういうことでWindowsユーザになってしまったことを実感する。nimdaってのはMacintoshにも感染するのだろうか。シマンテックのページに説明があったかどうか覚えていない。
 いずれにしても、コンピュータウイルスによる被害をできるだけ回避したいならWindowsは使うべきではない。私のMacintoshにはいまだにDisinfectantしか入っていない。マイクロソフトの製品がインストールされていないからマクロウイルスがやってきてもただのごみである。

 いつも気になっていることだが、朝日新聞は今回も紙面においてこのウイルスが影響を及ぼすOSを明記しなかった。パソコンならなんでも感染するわけではないだろうに。困ったものである。

2001.9.26(水)

 昨日、検索途中の寄り道の格好だったもののキーボード専門店のShopUを発見し、キーボードにカメラほどではないのだろうが、かなりマニアックな世界がある事を知った。
 また、先週の金曜日の深夜にここの「究極のキーボードへの道しるべ」で目にして以来気になっていた「メンブレンスイッチ」という用語の実相を理解した。
 長年使ってきたApple Keyboard II 日本語 ASCII配列もメンブレンスイッチだと分かったのだ。ちなみに『MACPOWER』1992-09にはマイクロフィルム式基板はミツミ電気製だとある。
 一方、私が現在好評利用中の究極の安物キーボードがメカニカルキーボードであるはずはないのだが、アップルキーボード2と同じメンブレンであると信じることもまた難しいほど打ち心地がよろしい。メンブレンもかなり改良されてきたのだろう。思い出してみると私のキーボードについてではないと思うが、売り場で「メカニカルのようなキーボード」という言葉を確かに目にしていた。

 すでに物理的にはJDAに接続済みだったNIC、アライドテレシスLA-ISAのドライバをインストールした。これによりJDAもLAS抜きでインターネットに接続できるようになった。
 その際、アライドテレシスのサイトからダウンロードしたドライバを含むセットアップファイルをフロッピーに移さないまま利用した。CD-ROMドライブも依然取り外したままなのでWindows95のCD-ROMを要求するファイルはすべてスキップしたが、ドライバそのものは無事インストールされたようだ。これにより、CD-ROMドライブが内蔵されていないクライアントマシンへのドライバインストールに関する疑問が一応氷解した。インストールされなかったdllやユーティリティーソフトもLAN経由で後から組み込んで差し支えないのではと考えるに至った。

2001.9.27(木)

 NTTから電話。DチャンネルをフレッツISDN導入後も利用するには電話番号を変えなくてはいけないといわれた。Dチャンネルを利用するオンラインサービスを利用している家人に念のために確認し、午後に再び電話がかかって来たときにDチャンネルの利用中止を伝えた。
 夜にはネットラピュタへフレッツ利用申し込みフォームを送信した。

 メンブレンスイッチのことで引っ張り出した古いMAC POWER(1992-09)に連載されていた川崎和男氏の「design talk」を読み、デザイナーの強力な問題意識に興味を持った。「かたち」と「ことば」の関係についての強い意見表明がWindowsのインターフェースについて興味を持たざるをえない現状だけに鮮やかに映った。(「かたち」と「ことば」だけに某ニューズグループでのひどい言葉の使われ方を考える上で意識してしまうのも避けられない)

 夜、64Kbpsでの接続が可能になったのだからとフォーライフレコードの試聴ページに行ってリアルオーディオで聴いてみたが、音が途切れ途切れになってしまった。使用する帯域を56kシングルISDNから33。6モデムに落としても改善されなかった。そのほかいろいろ設定を変えてみたが、結局「カスタムのサンプリングレートを無効にする」ことだけで問題が解決することが分かった。

2001.9.27(金)

 再びFixnimd.comを実行した。ウイルスは検出されず、また、前回発見された日本語入力機能の異常も発生しなかった。前回の異常はハードウェアが英語107キーボードなのにデバイスマネージャの設定が日本語106キーボードになったままの利用により生じたものだと考えられる。設定を101英語キーボードにしてからは異常は発生していない。
 ただ、設定が101キーボードなのにWindowsキーもアプリケーションキーも利用できるのはなぜなんだろう。

2001.10.3(水)

 断続的にだが一月余り作業を続けてきたことえりユーザ辞書のMSIME95形式への変換を終えた。(PerlかAWKを習得していたら一日で終わったはずである)
 最終段階で私を戸惑わせ、作業を長引かせたのは変換エラーが出て初めて知った、MSIMEでの「さ変動詞」は活用語尾(「する」「ずる」など)を明記して登録しなければいけないという事実だった。私が不愉快に思ったのはこのことを含めてMSIMEのヘルプがいくつかの必要な情報を欠いていたことである。

2001.10.10(水)

 以前からVectorで、選択したCookieだけを削除できるプログラムを探していたが、適当なものがないのでdownload.comで探してみた。その結果、CT Cookie Spyというものを見つけた。スクリーンショットを見るために(単なるリンクでいいからアーカイブサイトで見られるようにしてほしいものだ)、開発元のサイトへ行き、そこからダウンロードした。
 解凍後、ダブルクリックして初めて分かった。このソフトにはVBのランタイムが必要なのだ。
 実際に使ってみるとMacintoshで使っていたCookie Selector(ちなみにREALbasicで作られている)と同じ感覚で使えるのでよかった。

2001.10.19(金)

 二台目のハードディスク(E:)が認識されない事態が昨日再発した。この現象はこのパソコンを使いはじめた当初より時たま見られたものであるが、ここしばらくは再現せず、すっかり安心していた。

 今のところ、Windows起動が一応なされた後、MS-DOSモードで再起動し、「win」で復帰すればEドライブも正常に認識されるので助かっている。Windowsに詳しい人ならこのことだけでも原因についておおよそ察しがつくのだろう。この問題を認識してからWindows内部技術について根本的に理解しなければいけないと思っていたのでいいかげん明日にも資料を調達したい。ついでに市長選の不在者投票をすませてしまおう。(留守番よろしく>ジャガー)


・デバイスマネージャの「ディスクドライブ」の状態
Eドライブが認識されたとき:
GENERIN IDE DISK TYPE<7
GENERIN IDE DISK TYPE<7
GENERIN NEC FLOPPY DISK

Eドライブが認識されなかったとき:
GENERIN NEC FLOPPY DISK
(正常に認識されたCドライブもリストに出てこない)

2001.10.20(土)

 図書館で本を二冊借りた。『Windows 95 SECRETS』(富士ソフト)と『なぜWindowsは今日も不安定か 解決編』(技術評論社)。どちらも名著である。批評性がある。
 後で借りるかもしれない本:『Windowsファイルがわかればもっと見えてくる』『Windows95に隠されたDOSの秘密』

2001.10.29(月)

 下の10月30日のところに書いた二台目のハードディスクの問題の解決が思わぬ形で私を混乱させた。ほんとにキレてしまった。

 頭とお腹の中で間違いなく出血した(笑)。
 結局、すんなり起動されたときと、"win"でWindowsに復帰してようやくまともにいろんなことができるようになったときとではシステムの構成が微妙に違うんだろう。きっと。それでSHDOCLC.DLLからしつこくDNSエラーメッセージを見せられることになった、ということだ。意味がよくわからんけど完全に「ゴルァ」ものだ、これは。

2001.10.30(火)

 おとといあたりのこと。EドライブがOSによって認識されない問題は一応解決した。
 結論としてはシステム起動に使うドライブを設定する画面(Windowsが始まったときにF1キーで呼び出す)で、システムを入れていないEドライブを念のために第三候補として指定しておいたのがよくなかったということになる。しかし、この原因は不条理に思える。第一候補のフロッピーディスクドライブにシステムがなかった→一台目のハードディスクを見たらあったぞ、ここから起動だ、で終わりにしないか、ふつう? なぜ始動オプションの設定としては意味がなくなった部分を見てそれをシステム構成から除外してしまうんだ(起動がひとまず終わった時点で警告ダイアログが出てきて「E:\にはアクセスできません。(改行)このフォルダは移動または削除されました。」)。よくわからんけどこれはWindowsのせいじゃなくてIBMのBIOSのもんだいなんだろうか(♪おしーえてーおじいーさ〜ん)。

 もしかして、二つのOSを別々のドライブからそれそれ立ち上げておいてメモリ上で切り替えて使えるようなそんなことも考えられているのだろうか(妄想)。
 とにかくこの設定項目については、システムが入っているディスクの後には何も選択しないように注意を促す説明があるべきだ。

 昨日私の健康をだいぶ害した、DNSを利用できないシステムの状態が正常な起動の影に隠れた状況はなぜか霧消した。
 だれか、Windowsを迎えに来てくれ。

 まあ、私は素人だからこの怪奇現象を説明するのに欠かせない事実を認識できていないことが多いのだとは思うけど、Macintoshと違い過ぎないか。Macintoshではシステムの構成要素が一つ一つのオブジェクト(今そこにあるもの)として目に見えるし、各機能拡張が何をつかさどっているのか名前からして素人でも分かるようになっている。それに、アプリケーションソフトの本体だけ削除して、そのソフトに付随する機能拡張やら初期設定ファイルやらなんやら置き去りになったってほとんどなにも問題無い。
 DLL! いまんとこ何がなんだかわからんからひとまず全部おまえのせいにしておくからな! おまえのせいですっかりダイナミックリンチライフだぞ!

2001.11.1(木)

 朝日新聞の朝刊の社会面でニムダワームの派生品が新たに出回っていることを知った。
 ニムダくん、この際だからこの世のすべてのWindowsマシンをおかしくしてしまってください。この一切を始めたのはWindowsなんです。Windowsを罰してください。お灸をすえてやってください(Windows一灸)。
 ノートン先生を初めとするコンピュータ医学者の人たちもかわいそうだこと。後半生をマイクロソフトの手抜きの尻拭いに費やすことになる。収入の安定にはなるだろうが、それなら砂糖水販売の方が有意義だ。

 あぁ Windowsよ! おまえは本当にあの『Windows』なのかい?
 世界中のほとんどすべての人に愛用されている『Windows』なのかい?
「そうですとも!」
『Windows』は自信満々で答えた。
「だいたい、私はそもそも被害者なんですよ。被害者の人権をもっと尊重してください。」
「きみの能天気さにつけこんで悪さをするワームが万が一ニムダくんだけならその言い分は理解を得られるだろう」
「だが、実際はこれまでにさんざん被害者になってきてたじゃないか。被害者意識とこの世を我が世と思う奢りをすり替えてきたんじゃないのか? 他のやつの目は誤魔化せても俺の目はごまかせないぞ。え? どうなんだ?」
「なんですって? あなたはなにをいいだすんです! だいたいその口調はなんですか。まるで刑事の取り調べじゃないか」
「そのとおりさ、おれは刑事なんだよ、しかもおれは筋金入りの『Deca』なのさ」
「あなたのいうことはさっぱりわからん。きっとあんたは『いっちゃってる人』に違いない。誰かー、誰でもいいから早くこの人を東京拘置所に収容してくださーい」
「なあ『Windows』。今、おまえなんていった? 『いっちゃってる人』っていっただろ。そこがおまえの至らなさなんだよ。おれはな、『いっちゃってる人』じゃなくて『いっちゃってる人』と他人にいわれてる人TMなんだよ!」

司会者田原:「まあちょっと落ち着いてください。このやりとりは盗作の疑いもあることだしいったんCMいきましょう」
口を揃える二人:「なんだ! あんたまだいたのかっ!」

 いつも気になっていることだが、朝日新聞は今回も紙面においてこのウイルスが影響を及ぼすOSを明記しなかった。パソコンならなんでも感染するわけではないだろうに。困ったものである。

2001.11.2(金)

 シマンテックのサイトからFxNimda.comをダウンロードして実行。W32.Nimda.E@mmは検出されなかった。
 Windowsは保守管理に膨大な時間を費やさねばならないという点で道具として失格である。

2001.11.5(月)

 MSDOS.SYSの[Options]にLogo=0(改行)という行を追加した。これでWindows起動時のようこそWindowsと描かれた画像が表示されなくなり、起動過程の観察がまともに行える。

 10月27日の夜にADRIFTを発見、入手し、日本語の使用について実験して以来、アプリケーションフォントを自由に変更できるユーティリティーソフトを探しているが、見つからない。ベクターからeXeScopeというリソースエディタをダウンロードしてあるがまだ実際には試していない。マックならFont Patchin'できまりなのだが。いずれにしろフォントの扱いがリソース化されていなかったらお手上げだ。法律との兼ね合いを抜きにして、適当な場所を特定し直接バイナリを書き換えて解決する能力は幸いない。
 作者のWild氏にはこの件ですぐに問い合わせた。シングルバイトのフォントに固定されているので日本語が化けるという予想通りの事情だったが、改善はさほど難しくないそうだ。だが次回のバージョンアップで対処するとは言わなかった。
 一方、Windows以外のプラットフォームへの移植についてはVisualBASICで開発したので長い道程になるということだった。

2001.11.6(火)

 残念だ。eXeScopeでADRIFTジェネレータを開いたが、アプリケーションフォントが関係する部分(dialog)のリソースがなかった。Visual BASICで作るとこうなってしまうのだろうか。すでに試してみたemigrantもVisual BASICで作られたソフトには通用しないと断っていた。

 朝日新聞がコンピュータウイルス関連の記事にそのウイルスに冒されうるOSや機種の情報をきちんと書かないのは字数の制限のためと考えるのが普通だろう。しかし、あえて妄想するならば、毎回「Macintoshは大丈夫だよ〜ん」と書くことになるのを避けているからではないか、となる。

2001.11.8(木)

 夜にテキストアドベンチャーの始祖といわれるADVENTUREを入手した。

2001.11.13(火)

 昨夜ベクターからダウンロードしておいたStirling(スターリング)というバイナリエディタで今日ADRIFTの改造を試みたが挫折した。ダイアログボックスの中の固定されたメッセージは別のフォントで表示されるようになったものの、フォームに記入した日本語の文字化けは解消しなかった。疲れた。
 Windowsソフトの構造自体を理解してからでないと再挑戦したくない。

 バイナリエディタはベクターの前に窓の杜で探索したが見つからなかった。だが、うろうろしている途中でMacVisionなるWindowsマック化ソフトを知った。しばらく唸った後、ファイルサイズが六百数十Kバイトなのでひとまず手中に入れておこうと決めたのだが、いざダウンロードしようとしたら作者のサイトにしかないと書かれていた。それで行ってみたけど、まっくびじょんはのーろんがーあべいらぼーだった。おぶじぇくとばーなるまるちすきーむな有料そふとしかなかった。
 しょうがない。今でもいちおうぱっと見た目は簡素な漢字トーク7リリース7.1とあまり変わらなくなってるし(タスクバーを上にしてマイコンピュータとごみ箱を右側に置くだけでかなり救われる)、話すと長い事情もありアニメ好きでもないのに某ヒロインの画像が壁紙になってるし(^^;

 タスクバーが上下左右に移動できるという点については、Windows問題を整理するサブノートに真っ先に書かねばならないだろう。XPではどうなっているのだろう。興味がある。
 Windows 95 SECRETSはタスクバーの最適な位置について、それぞれの位置に特有の利害の列挙しかしていない。ただ、Windows操作において使用者がマウスを動かす方向としては、左と下が一番「不自然」だと述べている(タスクバーの位置についての間接的な言及なのかもしれない)。
 私から言わせれば、バーを自動的に隠すかどうかも含めて上下左右人それぞれの好みで好きなようにすればいい(前掲書は左利きの人は左が便利かもしれないと断っている)のだが、私が許せないのはアプリケーションウインドウが開いたときにタイトルバーがタスクバーの下にもぐり込んでしまいウインドウをドラッグできない事態が発生することだ(タスクバーをいったん別の位置に動かす必要がある)。タスクバーが下にあるとは限らないのにプログラムがそれを想定していないのだ。マイクロソフトが開発者にガイドラインをしっかり打ち出せばこんなことは起こり得ない。打ち出さないのであれば上下どちらかに固定させた方がよかったのだ(しつこいようだがXPが気になる。まだ拡張子ってあるのか?(笑))。

2001.11.14(水)

 昨日行ったバイナリエディタによる作業の前に、インストールされているフォント名を変更することで解決しようとしたが、フォントの名前は変更できないことを知らされた。
 したがって、ADRIFTが使用しているフォントをEドライブにコピーした後でFontsフォルダから削除しないと実験にならないというわけである。

2001.11.22(木)

 I hacked it!!! とうとうやった。改造成功。ADRIFTの日本語化ができた。
 元々検索でひっかかったICQクライアントソフトの日本語化に関する情報にある程度の汎用性があるとの読みで作業を進めてきたけれど、先日徒労に終わったのは元の情報をよく読んでいなかっただけだった。推理は当たっていた。今日落ち着いて読み直したらwin.iniでの、切り返しにあたるフォント設定が必要なことがわかった。先日の作業中もなんとなく必要性を感じていただけにやっぱりそうだと思った。
 ジェネレータの記入欄に日本語が表示されたときには感動した。さっそく部屋を二つだけ作ってみたけど、このソフトはいい! 部屋を一つ作り、その南に二つ目の部屋を作ったとする。南の部屋の移動先設定で北に最初に作った部屋があると設定してダイアログを閉じると、連結している二つの部屋の片方だけしかるべき設定がなされていないのを検知して親切にも、一つ目の部屋から二つ目の部屋への移動を設定しますかと聞いてくる。いいぞ。
 がぜんやる気が出てきた。

2001.11.30(金)

 うきーっ!! またEドライブが認識されなくなった。外形的な原因はわかってる。アプリケーションの追加と削除のやぼったい操作方法のせいでアクセサリのいくつかを不本意に削除してしまい、また追加し直したからだ。しかし、どうしてこれが元の木阿弥にしてしまうんだ。わからん。くそー。おれが思春期の少年だったらぐれるぞ。

2001.12.1(土)

 このところずっと『Windows』を意識しなくてもよい状態が続いていたのに、ADRIFTのサンプルゲームの製作も順調だったのに。不愉快千万だ、まったく。config.sysもautoexec.batも昨日付けで更新されている。しかし、どこがどう変わったのかわからない。どこも変わっていないように見える。
 ここまで摩訶不思議なことはマッキントッシュには起こらんだろう。OS Xになってかなり複雑になってしまったそうだけど、どうなんだろう。WindowsはHSPやADRIFTみたいに有用な無料ソフトがたくさんあるからすばらしいといえばすばらしいが、それはOSそのものへの評価とはまったく別問題。
 非常にむなしい。今ごろ95使っている私が悪いのかもしれないが、英知の結晶とはまったく考えられないところが辛い。「よくできてるじゃないか」と思わせてくれる部分がほんとんどない。しまいに、人間ってたいしたことないんだなと思えてくる。世界がちんけなものに見えてくる。これが人類を代表するOSだとは認めたくない。
 たとえば、タスクバーが標準設定で下にあって、スタートボタンが左下にあるわけだけど、それだったらマイコンピュータとごみ箱その他の標準的アイコンもタスクボタン近くに集まっていなければおかしいのに、反対の左上の方に並んでいる。結局ここらへんの設定はマイクロソフトなりに理想のインターフェースデザインを提案したということでもなんでもなくて、裁判沙汰を極力避けるためになんでもMacintoshと反対にしただけだとしか思えない。
 いずれマイクロソフトのデザイナーがどんなことを言ってきたのか調べてみたいと思うけど、あんまりその内容について期待していない。

2001.12.8(土)

 師走を吹き抜ける乾いた冷気のような諦念が虚心の素粒子に見えるほど心の奥底近く遠くに横たわったまま、一週間が過ぎた。
 そして、不愉快の反転を覚えさせることもなく、純粋な現象としてEドライブがこの日自然と起動過程で認識された、と受け入れられたのであった。

2001.12.9(日)

 今日も穏やかにEドライブがWindowsシステム起動の過程で認識され、デスクトップがEドライブに収められている壁紙で満たされた。

2001.12.10(月)

 今日も厳かにEドライブが認識された。

2001.12.13(木)

 昨夜寝る前に下戴しておいた二つのプログラムを実行した。
 まず初めにシマンテックのバッドトランス検査プログラム。発見されなかった。
 次に、Microsoft VM for JAVAをインストールしたが、システムの一部を書きかえられたせいでまたもEドライブが認識されなくなった。

 先日のように、この問題が自然の恵みみたいに解決する日が訪れたなら、私はその感慨を次のように記すだろう。

 湿度0%の冬の光が広くも狭くもないある空間を容赦なく照らしているのを私は感じた。そこはまぎれもなく私の心だった。私は、その空間を確固たる存在物たらしめていたと瞬時に感覚するに至った<透明な崩壊を内包した抽象性の澱み>が、かつてその澱みのために必要だった球体状の容器の輪郭とまったく同時に光分解されていく様子を眺めることができた。

2001.12.16(日)

 先ほどステップバイステップ起動をやってみた。CONFIG.SYSだけ処理しなかったら正常に起動した。明日以降精神的に余裕があるときにCONFIG.SYSの内容を少しずつ変更して実験してみよう。(21:17)

2001.12.20(木)

 さっき今日初めての起動だったけれどもEドライブが認識された。(22:55)

2001.12.25(火)

 本当に狂ってやがる。
「あなたのことですか」
「違うぞ、『Deca』、連中のことだ。もし狂っているのがおれだとすると、おまえも狂っていることになる」
「おっしゃるとおりです、『Deca』長。狂っているのはやつらにきまっています。」
「せつめいをはぶくが、とにかくおれは疲れてしまった。今晩はポコサージュをふにふにしながら寝よう」
「“ぽこさーじゅ”ってなんですか」
「“ぽこさーじゅ”っていうのは“ぽこ・らばんぬ”がでざいんしたぽこぽこぐっずだよ。せつめいははぶくがこりゃおかしい、わははははははは...」
 『Deca』は思った。(この人はやっぱり『いっちゃってる』んじゃないか.... もしかしたらえふじぇらーもにちゃんねらーもただしいのかもしれない)

「それにしてもよあけはいつくるのだろうか。そしてしーえむもいったいいつになったらおわるのだろうか」
 『この一切が始められたものであることをしっかりと理解なさる人』がそう呟いた直後、控え室のドアが開いてADのニムダくんが入ってきた。
「しつれーしまーす。もうすぐしーえむあけますのでちゃくせきおねがいしまーす」
「じゃあ、いってきます」『Deca』はパイプ椅子の背から背広を取り上げた。
「たのんだぞ。これはいっさいをはじめたれんちゅうとそのいっさいにのみこまれざるをえないぼんぷとのたたかいなんだからな」
「わかってます」
「おれははんらんのぼやーじゅのでぃーぶいでぃーでもみてるから、しっかりな。せつめいははぶくがだんちょーのいかしたせりふをぜんぶおぼえるつもりなんだ、わはははははは......『それからというもの、れんちゅうのほねをくだくかんしょくがいきがいになってきました』わははははは....」
 『Deca』が行った後、変な男は思った。
(おれもぼんぷにはいるのだろうか いーどらいぶにほんろうされっぱなしだ おれもぼんぷなのだろうか にむだくんをきたえてもっとつよいからだにしてあげられない くそー もうたえられん!)

 それは、澄み切ったものになるはずだった世界中の時間が『Windows』XPの陥穽に呑み込まれたXマスの夜だった。





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