What is an adventure game?

By Ray Dunakin


11/28/95

最近私はアドベンチャーゲームを形作るものを巡る多くの混同に気付いた。多くのいわゆるアドベンチャーゲームはシェアウェア、商業製品を問わず、他のタイプのゲームの方にずっと近接しているのである。そしてWorld Builderでゲームを作ろうと試みる多くの人々は完全に別ものを作っている。

アドベンチャーゲームはしょっちゅうロール-プレイング・ゲーム(RPG)、そしてDoomやMarathonのようなある種のアーケードタイプのゲームと混同される。三種類のゲームはいくつかの特徴を共通して持っているかもしれない、だが、いくつか重要な違いがある。私はなんらかの説明が求められていると考える。

最初に、良質のアドベンチャーゲームの主要な要素または目的とはなんなのであろう? ほとんどの人が、物語り、探検、謎を解き明かすことが本物のアドベンチャーゲームの三大要素であることに同意するだろうと私は思う。これらの要素の中に人物のやり取りのようなものがあり、物語を進めたり謎の手がかりを提供したりするために使われる。また、謎の解明は非常に複雑になりえるので、しばしば完了するのに多数の手順が必要になる。

アメリカ・オンラインにおいてDoom、Marathonその他の「撃ちまくり」ゲームのメッセージ・フォルダーはアドベンチャーゲーム・フォルダーの中に置かれている。しかし、それらは本当のアドベンチャーゲームなのか? 否である。これらのゲームの第一の目的は動くものすべてを射撃しながら駆け回ることである。もちろん、これらのゲームの中には、撃ってはならない非プレーヤーキャラクターが存在するものがわずかにあるのかもしれない。しかしそれらのプレーヤーそしてゲームプレイ全体にとっての重要性は限定的である。それらとプレーヤーの相互作用もまた限定されている。

シューティングゲームにも謎解きの要素が若干含まれているかもしれない。しかし、これまた限定的であり、ゲームの主目的ではない。これらのゲームの謎はたいてい「隠された物を見つける」類に属する。真の演繹的推理はなにも含まれていない。そして、探検についていえば、シューティングゲームは単に迷路もどきレベルの連なりにすぎず、それらを見つける唯一の目的は武器の標的をもっと見つけることでしかない。

では物語についてはどうだろう?シューティングゲームにおいて物語は常に単純で、大虐殺を正当化するものにすぎない。それは別に悪いことではない。どんな種類のゲームでも適所を有している。しかしここでの要点は、Doomのようなシューティングゲームは物語り、探検、謎解き、そしてキャラクター・インタラクションを限定的にしか打ち出さない、それゆえに本物のアドベンチャーゲームではないということである。その代わりに、それらは高度に進化したアーケードゲームである。

さて、RPGの場合はどうか? ここにおいて区別はしにくくなる。物語は往々にしてゲームプレイの重要な部分になる。キャラクター・インタラクションは多く、事実、しばしばアドベンチャーゲームで見られるのよりも豊富である。謎解きの要素もある。

しかるに、差異が存在する。ロール-プレイングという名称が最大の違いを物語っている。RPGにおいて、あなたは一つ(またはそれ以上)の人格を引き受け、それを全うすることになる。自分のキャラクターが卑怯だったり俗悪だったりしたら、その卑怯で俗悪な人物がしそうな(ゲーム中の)行動をとらなくてはならない。キャラクターが臆病なときは、臆病者がするような行動をとらなくてはいけないのである。役者のように、キャラクターのパーソナリティーを被って自分自身を置き去りにすることになる。アドベンチャーゲームでは、プレーヤーキャラクターは自分のパーソナリティーをゲームの世界に入り込ませるための単なる一手段、ゲームと関係する方法でしかない。役割は逆転している。つまり、キャラクターがあなたの人格を引き継ぐのである。実際、多くのアドベンチャーゲームにおいて、輪郭を限定されたプレーヤーキャラクターは皆無であり、単純にインターフェースとして存在している。

RPGにおいて、プレーヤーは自らのキャラクターの性格を作成し成長させる。内包された多量の統計がしばしば存在する。そして経験を通してキャラクターの統計を進歩させることがゲームの一つの目的である。プレーヤーのキャラクターが劣った敵に対して十分な経験を積まない限り、ある特定の敵を征服できない、または特定の領域に到達できない。アドベンチャーゲームでは、重要な唯一の経験はあなた自身のものである。役を演じているわけではないから、プレーヤーの「人格」がどんな「経験」を持つのかは問題ではない。

戦闘と戦術はともにRPGの主要な一部である。本当のアドベンチャーゲームにも多少の戦闘があるだろうが、しかしゲームの主眼ではない。そして通常アドベンチャーゲーム中の生き物や敵は武器ではなく、あなたの精神によってのみ倒される。多くのアドベンチャーゲームは戦闘が皆無である。

チームワークがもう一つの違いである。多くのRPGがプレーヤーがまったく別のキャラクターからなるチームを統制すること、必要に応じてある者から別の者へ切り替えることを許している。アドベンチャーゲームにおいて、これは滅多にないことである。プレーヤーの「人格」はプレーヤー自身の個性に対応するインターフェースにすぎないからである。プレーヤーはゲーム開始時に一人以上の人物から選択する機会が与えられることもあるかもしれないが、その人物の人格は依然としてプレーヤー自身のものである。この選択の目的は、プレーヤーに彼または彼女が緊密に感じることができる(男性か女性かなどの)同一性の利用を認めること、かつ/または、いったん遊び終えた後で、プレーヤーが遭遇する謎のなんらかの変化によって、また遊ぶチャンスを提供することである。

最近私はオンラインでほかのゲーマーたちに彼らがアドベンチャーゲームを、そしてこれらのゲームとの相違をどう定義しているか尋ねてみた。ここに私が受け取った返事がいくつかある:

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Subj: Re:Adventure or ?
Date: 95-11-25 16:40:34 EST
From: Alex1011

ぼくはアドベンチャーゲームっていうのはもっと探検して、戦闘が非常に少ないものだと思う。RPGはその名前と関係がある。登場人物、自分自身(それかグループ)と非プレーヤーキャラクター、いわゆるNPCの両方とより多くのやり取りをするね。だけどD&Dという大きな違いがある。それがRPGにレベル、それとたいていの場合クラスがある理由なんだ。統計の項目があって、戦闘を中心にしてできている、そして良質のプロットがある。戦闘のないRPGはありっこない、それはアドベンチャーゲームになるだろうね。

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Subj: Re:RPG's versus Adventures
Date: 95-11-29 00:31:32 EST
From: MarcJeff

「これは常に漠然とした問題だが、私はいくつかの案を提出してきた」

「私は断然RPGをアドベンチャーゲームの一種だと理解している。もっとあけすけにいうと、私はゲームというのは重なり合う三つの一般的カテゴリー:アクション、アドベンチャー、ストラテジーに分類されると考えている。アドベンチャーの特徴的性質は探検の強調に違いない。つまりそれは、プレーヤーがある世界の中に置かれ、状況の検証、探検、物体や生き物とのやり取りを通じて自分の環境と相互に関係を持たなくてはいけないということである。さらに進めると、私はアドベンチャーゲームは二種類に分かれるものだと見ている。それは"パズル・アドベンチャー"と"ロール・プレイング・アドベンチャー"である。私はこれらの名称が本当に二つのカテゴリーにとって最適のものであると主張するものではないことに留意していただきたい。」

「パズルアドベンチャーというのは、Myst、Monkey Island、 Shadowgate、そしてもちろんA Mess O' Troubleのようなゲームである。これらはプレーヤーの推理と実験の能力に焦点を合わせている。話の筋に織り込まれた多くの「謎」がある。プレーヤーは成功を収めるためにそれらの多くを克服しなければならない」

「ロールプレイング・アドベンチャーはBane of the Cosmic Forge、Might & Magic、Realmz、Pools of Darknessのようなゲームである。こうしたゲームの説明書の多くは"RPG"または"FRP"の定義に多少の時間を費やしている。これらのゲームは通常、冒険、戦闘、キャラクタ育成に焦点を合わせている。パズル・アドベンチャーと対照的に、プレーヤーはほとんどいつも複数の異なる"プレーヤーキャラクター"を操る。これらのキャラクターはゲームを通じてパワーとスキルが増大する。これらのゲームの大きな部分が戦闘であり、ここでプレーヤーは敵を倒すために自分の性質の良いところを活用しなければならない。打ち勝つための"謎"もよくあるが、少ないし複雑性も低い。かなりの犠牲を払ったとしても戦闘での経験が謎の迂回を許すことがしばしばある。」

「シエラの"Quest for Glory I"というゲームの輪郭を説明しよう。これはパズル・アドベンチャー、ロールプレイング・アドベンチャー、アクションゲームの要素を持っている。MacWorldはこれにベストRPGアワードを与えたほどだ(個人的には非常に残念だ)。アクション面は明らかに最小限であり、選択としてボタンを押す以上のことはあまりない。それゆえに、これはアドベンチャーに外ならない。単一のキャラクターを操るだけだが、戦闘を通じて力をつけもする。しかし、プレーヤーに立ちはだかるたくさんの謎が存在する。キャラクターを作るシステムにもかかわらず、私はこれをパズル・アドベンチャーと呼んでいる。ゲームの主な難題がキャラクター育成と関係しない事柄から生じるためである。たとえば、プレーヤーは霜の巨人のためにある果物を見つけなければいけないし、コボルドの魔法使いを倒す方法を見つけなくてはならない。」

「物語りに関していうと、私はアドベンチャーのみならず、あらゆる種類のゲームにとって重要だと思う。アクションおよび戦略ゲームは形式と目的を規定する興味をそそるようなプロットからしばしば利益を得る。アドベンチャーゲームにとっては、プロットはより重要でさえあるけれど、パズル/ロールプレイング・アドベンチャーはどちらもそれをほとんど同等に必要とすると思う。しかし、それでもプロットとストーリーラインはこうしたゲームの冒険としての側面と比べれば重要度が低くなると思う。」


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Subj: Re:RPG's versus Adventures
Date: 95-11-29 15:11:27 EST
From: Josuah

 「私はRPGとアクションゲームの公認されている定義はキャラクターの行動と統計がどんなふうに説明されるかという点にあると思う。RPGは結果を決定するために数字と比率を必要とする。つまり、悪漢をやっつけるのにスキルではなく、スキルの十分な点数が必要だということだ。もっともそれでも戦略がRPGの戦闘のかなりの部分を決定するのだけれど。」
 「対照的に、アクションゲームはプレーヤーがジャンプ、攻撃などに習熟していることを要求してくる。そういう行動の結果は数字によって決定されるのではなく、プレーヤーの適切なボタンを叩くことと反射神経についてのスキルで決定される。」

 「RPGはもっと大きくて広い範囲や環境との相互作用を見せてくれるし、同時に完全に探検で成り立っている。アクションゲームにはたいてい勝つためにプレーヤーがたどらなければいけない決められた方向がある。RPGは複数の結末さえあるが、アクションゲームにはない。

>>>>>>ロールプレイング・アドベンチャーはBane of the Cosmic Forge、Might & Magic、Realmz、Pools of Darknessのようなゲームである。
  打ち勝つための"謎"もよくあるが、少ないし複雑性も低い。かなりの犠牲を払ったとしても戦闘での経験が謎の迂回を許すことがしばしばある。<<<<
(訳者注:引用されている)

 「私は最初の段落については完全に賛成するけれど、第二段落は明らかに間違っている。あなたの謎についての定義はわたしのものと多少異なっているのかもしれない、しかし、 Spiderweb SoftwareのRPG、ExileとExile IIとFantasoftが配給しているLLCは複雑で深い思想を含んでいて、単純に暴力の結果としてとらえることはできない。具体的に言うと、Exile IIの知性テストがある。これに合格するにはワードパズルと演繹的推論が必要だ。」

>>>>>RPGと本格派アドベンチャーの一番の違いの一つは、アドベンチャーの中にある、プレーヤーのキャラクターはそれほど重要ではないということだと思う。それはプレーヤーにゲームの世界と関わらせる一つの方法にすぎない。RPGだと、キャラクターは重要で、事実上ある役割を演じる役者だ...<<<<<

 「これは良い例えだが、完全には同意しない。アドベンチャーゲームもまたキャラクターをとても重要なものにする場合がある、特に、プロット上の効果についてそうである。しかし大部分については、正しい。」


これらのタイプのゲーム間には境界線のぼやけが常に存在することだろう。しかし、その違いをおおむね明確に理解しているゲーム作者は、自分が求めるゲームを生み出す見込みがよけいにあるだろう。そして、作者自身によって正しく分類されるゲームは遊ぶ人をがっかりさせるおそれがより少なくなるだろう。私は数え切れないほど、ストーリー、謎、キャラクター・インタラクションが皆無で闘いだらけの「アドベンチャー」ゲームをダウンロードしたことについて人々が不満を漏らすのを聞いてきた。明らかにそんなゲームはアドベンチャーではない。

あなたがWorld Builderで自分のゲームを作るときには、こうした区別がもっと重要になる。プログラムの制約のため、Doomのようなゲームはおろか、たいていのRPGにも向いていない。動くものすべてを爆破しながら回廊を走り抜けるのはDoomのようなフル・アニメーションの環境ではすばらしい。しかし同じことがWorld Builderゲームではこのようになる:あるシーンから別のシーンに移動する、化け物の静止画と出くわしたので、ウェポン・メニューをプル・ダウンし、化け物がそのシーンからいなくなるまで"Fire pistol"を何度も何度も選択する、そいつがあなたを真っ先に殺さない限りである。しかも普通はそうなってしまう。まちがいなくそんなのぜんぜん楽しくない!

同じことがWorld Builderで作られるRPGにも当てはまる。そう、プレーヤーキャラクターは「経験値」を獲得しないし、ゲームプレーも退屈で繰り返しばかり。それに複数のプレーヤーキャラクター(チーム)のような伝統的RPGの要素の多くがWorld Builderでは再現困難である。私を悪く思わないでほしい―作者がプログラム上の制約を考慮してうまく処理すれば、良質のRPGだってWorld Builderで作れる可能性があるのだから。そして、そういうゲームには真のアドベンチャーゲームを求めている人々を混乱あるいは失望させないように、ふさわしいラベルを貼るべきなのだ。

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