夜が明けたらたそがれだった

 私が33歳になった年は世界にとって新しい世紀の始まりだった。しかし目の
前に現われた新しい登場物はことごとくそれまで古ぼけた写真の中で安逸な暮ら
しに耽っていたものばかりだった。そのことに知らんぷりしたままでいられなか
った鉄道会社の中には汽車、駅舎、切符、駅員の制服などすべてをセピア色に統
一したところもあった。一方、バス会社は銀色のボンネットバスを多く採用した。
 ただ、どんな趣向を凝らそうとも人々の心を満たすものに変わりはなかった。
それはたそがれである。
 金属製の車体に投げ返される光が淡い夕焼けであろうと、乗客が銀紙の中に閉
じ込められてしまったと錯覚するようなメタリックな風をはらんでいようと、人
々はたそがれていた。
 それは明らかに社会的な問題であった。前の世紀の空気をどこかに隠して毎日
吸引するのが健全であると訴えていたごく少数の人間は、これは政治問題だ、議
会行きの課題だと力んでいた。しかし彼らには異時元へのトンネルを掘る技術を
見つける科学的才能がなかった。古い空気も尽きてしまったのだろう。しだいに
彼らもたそがれ、社会的現象を構成する存在すれど見えざる一単位になった。


1991.3.4

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  無題

 人殺しが外面の良さで檻を免れた日、私は休暇を取りたくなった。おりしも、
履歴書のいらない仕事にまで休暇に関する取り決めができつつあった。私は梨畑
を逍遙しつつ自分だけの世界に浸りたかった。なにしろ人殺しが欠席裁判に勝ち、
その応援団が平気でテレビカメラの前に姿をさらけ出すような、あまりに不安な
出来事だった。弁明できない被害者の魂について考えたかった。彼は本当に狂っ
ていたのか。狂人は殺してもいいのか、と。

 自発的に意識したものだけが実存する世界で、私の書斎の机は生きていた。コ
クゾウムシの背中を拡大したかのようなでこぼこした表面の上に、目に見えない
が触れることはできる大理石のようにひんやりする石板が透き通っていた。しか
も、その石板は実存することを強調するかのように爪でひっ掻くと傷を残した。
その傷の癒え方は生身の人間の皮膚そのものだった。
 自発的に意識したものだけが実存し、同時に生きていることになる休日の世界
の中でやることはまず一つだけ決まっていた。クヌギの根元を掘りたくなっていた。
 見上げたのに風も吹かないまま雲一つない青空は私が空に寄せる思いの深さを
知らせてくれた。

 エネルギーの塊を両手の上に乗せて林のわき道に出ると、空の半分が暗い灰色
を混ぜ合わせた藍色になっていて波のように沸き起こっていたが、風は窓を隔て
たように遠くの方だけに吹きつけた。

 休暇を取るとすぐに空の下にいた。出発した場所はこの日にないのだと理解し
た。それは同時に帰るところもここにはないということだった。


1993.3.7 Sun.

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